誰かと食堂とか居酒屋に行った時、周りのみんなに合わせて同じものを頼んだり、旅行とかに行った時でも、次はどこに行くのか?何を食べるのか?そんな全てを、自分で決めずに他の人の言うがままにしてきました。
そうすれば、意見の食い違いとかもなく、その場は丸く収まるし、自分が我慢すればそれでいいと思っていました。でもよく考えてみれば、ずっと他人の意見のままに生きてきたんですね。
これでは、他人の人生を生きて、全く自分の人生を歩いていないと思うようになったんです。
人に合わせる
人の意見に合わせることが悪いことだとは思いません。協調性という点では、優れていると思います。いや、この場合は、協調性ではなく、同調性だったんですよ。わたしもずっと、人の意見に合わせることが、協調性だと思っていましたが、実は違っていたんだと知ったんです。
『協調性とは、周りの人と互いを理解し合い協力し合って物事を成すこと』
『同調性とは、主体性を持たずにただ周りと同じことをする』
ですから、今までわたしの考えていたことは全て、同調性だったんです。それから、自分の意見と異なる人に対しては、こちらが何も言わずに妥協したり、無理して我慢しなくてもいいと思うようになりました。
今までは、本当に何も言わずに、本当はこっちに行きたい、本当はあれが食べたいと心の中で思うだけで、口に出さず、周りに従っていたんです。その場の雰囲気を壊さないために、我慢してみんなに合わそうとしていたんです。
これはわたしの性格もあるとは思うんですが、いかに他人に流されたままの人生を生きてきたのか、自分の人生を生きるために、全く正反対のことをしていたんだと考えるようになったんです。
自分を主張しない
もし自分の意見を言って否定されたらどうしよう、もし自分の行きたい場所に行ったとして、面白くなかった、やっぱり違う場所の方がよかったと言われたらどうしよう、もし自分の意見を言ったとしても、口数ではみんなより劣っているから、反対されたらどうせ負けてしまうだろう・・・。
こんな風に、そうなるとも限らないことを悪い方に想像して、絶対そうなると自分自身に思い込ませていたんです。そして、そういった思いが心の中で増幅して、結局自分の口から言葉が出なかったし、出せなかったんです。
でもこれって、自分の意見を言わない、自分を主張しない、周りに合わせてるっていうこと。まさに、同調性ですね。
しかしこれを、わたしはなんて協調性がいいんだって思っていたんです。協調性というのは、自分が我慢したら得られるものだと、思っていたんです。
波風が立つのを嫌う
意見が食い違ったりすると、言い争いまではいかないですが、ちょっと気まずい雰囲気になったりしますよね。そう言うのを避けるためにも、わたしが妥協して、みんながハッピーになれるんだったらいいかと、我慢していました。
自分の気持ちよりも、その場の状態を重視していたんです。なるべく穏やかに、波風が立つことのないように、他人の顔色を伺って、自分を押し殺して、従うようにしていたんです。
誰の人生?
他人まかせで、あっちにフラフラ、こっちのフラフラと、いったい誰の人生を生きてきたんでしょうね(笑)
人は人、自分は自分。違って当たり前!
他人との意見の食い違いが嫌なら、独りで行動すればいいし、自分の行きたい所に行って、食べたいものを食べる。自分の人生です。他人に無理に合わせる必要もないんです。
人それぞれ、この世の生まれてきた使命があります。もちろん、それは一人一人違うでしょうし、なのにそんな他人に流されたままの人生で、どうするんですか!
これは、自分自身に向けての言葉でもあります。
この世での使命を全うするまで、自分らしく、楽しんで生きていくことに決めました!
まとめ
- 人に合わせるのが○?
- 協調性がいい?
- 気まずい雰囲気が嫌
- 他人の人生を生きている
ほんとに過去の自分は、他人まかせで生きてきていたんだと思いましたね。
どこにも自分がない(笑)
もうすでに、人生の折り返し点は過ぎてしまいましたが、まだこの時点で気づけて良かったと思っています(とは言うものの、気づくのが十分遅いですが)。
これからは、自分の人生を大いに味わって、生きていこうと思います。
あなたもぜひ、ご自分の人生を歩んでくださいね。
微力ながら、応援しています。
今日もあなたが至福感に包まれますようにお祈りしております。
ありがとうございました。