自分の過去を振り返ることがありますか?
中には思い出したくもない出来事なんかもあったりするかもしれません。でも、そのことに蓋をしたままでは、この先一生苦しみ続けないといけなくなります。
その出来事の大小によっては、向き合うのが本当につらくて、苦しいこともあるかもしれません。しかし、きちんと向き合って、認めてあげると確実に人生は開けていきます。
わたしの記憶
わたしの記憶があるのは、幼稚園の頃からです。それ以前の記憶は全くありません。
その幼稚園の時に覚えているのが、なんでもバランスを取らないとダメな子どもでした。
どういうことかといえば、例えば、ジャンプして右回りに回ったとすると、今度はジャンプして左に回って、元に戻らないとダメだとか、ケンケン(片足跳び)したときに、右足2回なら左も2回して、最後は両足でジャンプみたいな感じ。
とにかく左右で同じにならないと気持ち悪かったんですね。
他の人からしたら何それ?とういうようなことでしょうけど、なぜか気になっていたんですね。
このバランスを取る?というような行為は、なんでそうだったんだろうと自分なりに考えた結果、わたしの星座が天秤座だったので、天秤だからバランスを取ろうとしてたのかと、自分で勝手にそう思い込んでいました。本当のところはそうなのかはわかりませんが。
小学生の帰り道
小学生、確か低学年の時、学校で育てていた植木鉢に入った花か植物を持って帰ることになったんです。
帰り道で、その植木鉢を落として割ってしまったんです。
『あ!』と、一瞬固まって、『どうしよう?この状態じゃ持って帰れないし・・・』。
この場を、誰かに見られたら恥ずかしいし、早くこの場を離れなきゃと、慌てて割れた植木鉢を一応、道路の端に寄せてから、べそをかきながら、走って帰りました。
家に帰ってから、親に言えば怒られるかもと思って、誰にも話さなかったです。
自分の中では、あ〜あ、やっちまったなあという気持ちと、情けない気持ちと、そのままにした植木鉢が気になる気持ちがありましたね。
植木鉢を落としたわたしが悪いんですが、自分で自分がかわいそうになる出来事でしたね。
先生から嫌われていた!?
確か小学2年生の時の話。時計の読み方を授業で習っていたときのこと。
針が2時15分を指している時計を、『何時ですか?』って当てられたんです。
この時、長針が数字の3を指しているので、とっさに2時13分と答えてしまったんです。
担任の先生は女性だったんですが、すごく怒られた記憶があります。こんなこともわからないのと呆れたような様子でしたね。
今思うと、当時わたしは、引っ込み思案で、はっきりしない子どもだったので、先生からしたらイライラするタイプだったんだと思います。
はっきり言って、嫌われていたのかもしれません。だから間違えた時に、余計責められたのかもしれないんですね。
まあ、これはわたしが勝手に思い込んでいることかもしれませんが。
とはいうものの、その先生が嫌いだったかといえばそんなことはなくて、まあ、のほほんとした子どもだったし、ある意味天然で、周りのことをあまり気にしないというか、気にならないタイプだったので、良かったのかもしれません。
え!わたしだけ!?
運動神経はいい方だったし、ある程度は自身ががありました。
それで、小学3年生か4年生だったと思いますが、先生からクラス全員に、『ドッチボールを投げるのも受けるのも上手な人』って聞かれて、わたしは、おそらく大概の子は手をあげるだろうと思って、何も考えずにひょいって手をあげたんです。
そしたらなんと、誰も手をあげなくて、わたし一人だけだったんです。
『え?なんでみんな手を上げないの?』と周りを見渡して、思ったんです。周りのみんなは『え?お前よく手を上げられるな!』と言ったような目で見ていた気がします。
この時、遠慮ということを覚えた気がします。
緊張の台詞
卒業式の日に、在校生が数名で言葉を繋いで、卒業生を送るというのがあったんです。
なぜかわたしが、そのうちの一人に選ばれて、台詞を言う役になってしまったんです。
台詞は、「僕は見ていた!」のみ(笑)。
誰かが喋ったあと、少し間が空いて、わたしが言う感じだったんです。結構いうタイミング難しかったんです。
その間音楽が流れているんですが、言うタイミングを間違えたらどうしよう、うまく台詞が言えるか心配と、ずっと心臓がばくばくしっぱなしでしたね。
まあなんとか、台詞は言えたし、言う場所も間違えてなかったと思っています。
この時、みんなの前に出て言うというのではなく、座ったまま、言葉だけを言えばいいのでなんとかできたんだと思います。
陰キャラで内向的なわたしにとっては、とても重荷に感じた出来事でしたね。
まとめ
- 小さい頃の記憶
- べそをかいた帰り道
- 嫌われていた生徒?
- 遠慮を知った日
- 心臓ばくばく
それぞれ当時のことを思い出して、その時の感情を感じてみました。
幼稚園児の自分へは、左右のバランスを取らないと気になって仕方なかったんだね。ヨシヨシ。
植木鉢を落として、べそをかいた自分には、落としちゃったねー。
落としてしまったものは仕方ない。割れた植木鉢は持って帰れないし、邪魔にならないように端に寄せたから、大丈夫だよ。
でも、後片付けしてくれた人に、お礼は言っておこうね。「ありがとうございます。」
時計の読みを間違えた自分には、大人しくて、あまり話さないし、引っ込み思案な子どもだったんだね。
時計の読みは、当てられて慌ててしまったんだね。間違いは誰でもあるから、気にしなくていいよ。ドンマイ!
ドッチボールのことを聞かれた時、他の人がどう考えているのかわからないよね。
でも、自分でドッチボールがそこそこ出来ると思ってて、自分の意思で手をあげたんだから偉かったよ。
大勢の前で、声を出すのを緊張している自分には、人前で声を出すのは緊張するよね。
まして卒業式だもんね。でも、よくやりきったよ。偉いよ。
そんな風に、当時の自分に声をかけてみました。
このようにみなさんも、過去の出来事に対して、その当時に自分に、寄り添って声をかけてあげてください。
とても安心して、過去の出来事がいい思い出に変わります。そして、未来が開けてきます。ぜひ、やってみてくださいね。
今日もあなたが至福感に包まれますようにお祈りしております。
ありがとうございました。